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パソコンと出会った頃のこと

それは9歳の時でした。同じクラスの竹部君の家に遊びに言った私は、 そこで初めてパソコンという機械を見たのでした。

竹部君のお父さんはパソコンに初めて触れた私のために、プログラムの入った カセットテープを用意してくれました。プログラムをロードするピーガラガラという 奇妙な音を何分間か聞いた後、竹部君のお父さんは複雑な指さばきでパソコンの キーを叩くと、テレビの画面に色とりどりの星の絵がいくつも浮かび上がりました。

その星の微妙な色遣いの美しさに私は衝撃を受けました。 全体的には白い色なのですが、その白色からにじみ出るようにして赤や黄色や なんともいえない色が複雑に絡み合い、しかもゆっくりと増えつづけるのです。 私の人生の中でもっとも印象付けられた事件のひとつでした。

そのパソコンはNECのPC-6001という機種で、今のパソコンとは違って、 ゲーム機のように直接テレビとつないで使うようになっていました。 ここで種を明かしますと、実は私が美しいと思ったあの色は、プログラマの 意図したものではなく単なる信号の「にじみ」だったのです。 パソコンの信号をテレビで見るにはRF変換器と言うものを使うのですが、 当時の変換器は性能が悪く、高解像モードではどうしても色が にじんでしまうのでした。

もっともそのにじみを利用し、白黒画像しか表示できないはずのPC-6001で カラーを表示するテクニックが雑誌に紹介されるほどでしたから、ホビープログラマ 達は性能の悪さを楽しんでいた節もあったのです。兎に角。技術の隙間に 現れた変なにじみに妙に心引かれた私はそれから紆余曲折の20年後、気がつけば プログラマーになっていたのでした。

プロフィール

山宮隆 (やまみや たかし)

1972年生まれ大阪育ち。幼い頃は藤子不二夫のような漫画家になりたいと 思っていました。しかし普通に何の展望もないままに、中高と部活(陸上部) 一色に染まった生活を送ります。高校の最後に美術の西山先生に薦められ 京都市立芸術大学に進学。 若さゆえの純粋で屁理屈な毎日の中で からくり作品を数多く製作し、 キリンコンテンポラリーアワードや、 大阪市咲くやこの花賞を頂きました。

しかし周囲の過分な期待も顧みず、1998年に作品制作も大学の非常勤講師も辞 めてインターネット業界へ参入。まず有限会社フォーバルにて現在のブログ・ SNSブームの先駆けとなるさるさる日記nikkijam の企画/開発に携 わるも態度が悪くてクビになりました。 2001年には株式会社クリプトワンソフト (現株式会社Qript)にて提案から設計、開発、営業、謝り役まで一通りこ なしながら業務の合間に平成14,15年度未踏ソフトウェ ア創造事業 の資金を受け言語ゲームSkeletonというニッ チなプロジェクトを個人的に進めていきました。

このままでは会社の迷惑になると思い2003年に脱サラ。ビューポインツリサーチNICT にお世話になり Croquet の開発の傍ら簡単物理シミュ レータ ODECoや電波系 IP 電話 WikiPhoneを趣味で開発。 2007年渡米ロサンゼルス在住。ビューポインツリサーチにて、すごいコンピュータの発 明ちびっこハッカー養 成 のお手伝いをしつつ、純粋関数型データフロー式メタ玩具「メタトイ」 の開発に全力を注いでいます。


$Id: about.html 1984 2007-10-06 05:43:25Z propella $